2012: パトリック・チャン • 2003: エフゲニー・プルシェンコ • 55: 道家豊 • 02: 柴田嶺 • 2008: 髙橋大輔 • 1987: ブライアン・オーサー • 1953-1956: ヘイス・アラン・ジェンキンス • 1997: エフゲニー・プルシェンコ • 11-12: 日野龍樹 • 1929: ギリス・グラフストローム • 95: 本田武史 • 77: 大池弘之 • 2002: アレクセイ・ヤグディン • 2002: ジェフリー・バトル • 2004/05: デニス・ファン • 2015: デニス・テン • 1998-2000: アレクセイ・ヤグディン • 羽生結弦が公開した3本の芸術的動画。 ライター松原孝臣はこう読み解いた。 posted 2020/05/09 20:00 1992: ドミトリー・ドミトレンコ • 1994年12月7日生まれ、宮城県仙台市出身。身長172cm。趣味は音楽鑑賞。オリンピック2連覇、グランプリファイナル4連覇、世界選手権2回優勝したほか、ショート、フリーの歴代最高得点など、数々の記録を塗り替えてきた絶対王者。2018年、個人最年少での国民栄誉賞受賞。 1998: アレクセイ・ウルマノフ • 1937-1938: フェリックス・カスパー • 2005: 織田信成 • 1999/00: 高崧 • 2005: エヴァン・ライサチェク • 1996: アレクセイ・ヤグディン • 1982: スコット・ハミルトン • [239]。しかし最終グループ1番滑走で臨んだフリーでは、鬼門となっていた演技後半の4回転サルコウ+3回転トウループの連続ジャンプを今季初めて完璧に成功。4回転4本に加え、すべてのジャンプを加点つきで成功させるという圧巻のノーミス演技を成し遂げ、自身が持つ世界最高得点を更新する223.20点を叩き出した[240][241]。トータルスコアはシーズンベストとなる321.59点で、4位までが300点を超える空前の激戦を制し、史上初[242] となるショート5位からの逆転優勝を飾った[243][244]。世界選手権の優勝は2度目となり、3年ぶりに世界王者の座を奪還した。世界記録を塗り替えての劇的な逆転優勝を、ニューヨークタイムズは「目もくらむような眩惑的なフリースケート」の見出しで称え[245][246]、スペインのエル・パイス紙は「キングが王座に帰還した」と報じた[247]。フリーでの世界記録更新については「一番とらわれていたのは過去の自分の数字。0.1点でもいいから超えてくれと恐れながらやっていたが殻を破れた」と、限界を設けず練習を続けたことへの収穫を述べた[248][249]。, シーズン最終戦として4月下旬に世界国別対抗戦に出場。ノーミスを目標に掲げていたショートで4回転が決まらず、83.51点の7位に沈んだ悔いから「こんなに悔しいならもう1回跳べばいい」と、4回転ジャンプを5本組み込む構成でフリーに臨んだ[250][251]。5本のうち前半の4回転サルコーが1回転となるミスが出るも、演技後半で史上初となる3本の4回転ジャンプを成功をさせ(4回転サルコー - 3回転トウループ、4回転トウループ、4回転トウループ - 1ループ - 3サルコー[252][253])200.49点をマークし1位に躍り出る[254]。日本はポイント合計で総合1位となり、3大会ぶりに優勝を飾った。 2013: ジョシュア・ファリス • 2011-2013: パトリック・チャン • フィギュアスケート速報 トップページ。フィギュアスケートの最新ニュース、注目選手、写真ギャラリーや試合結果をいち早くお届けするgooニュース フィギュアスケート速報 - トップページです。 35:  有坂隆祐 • 1998-2000: エフゲニー・プルシェンコ • 2006/07: スティーブン・キャリエール • !”, http://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000037.000010201.html, http://music-book.jp/video/news/news/125074, http://news.walkerplus.com/article/88094/, https://cyclestyle.net/article/2017/04/18/47450.html, http://cyclestyle.net/article/2015/10/30/29292.html, 買ってあてよう羽生選手オリジナルQUOカードその場でもらおう羽生選手オリジナル羽毛ひざかけ2019/10/29西川, https://web.archive.org/web/20150623091509/http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150623/k10010124181000.html, https://www.youtube.com/watch?v=-XxsFUckX3Q, <羽生結弦>新CMで至高のスケーティング披露!「最も得意な部分を見せられるのは嬉しいです, 「雪肌精 MYV」を最高峰シリーズ「雪肌精 みやび」とし、日本らしさを発信。グローバルミューズとして羽生結弦選手を起用, フィギュアスケーター羽生結弦選手シチズン中国のアンバサダーに就任2019/8/22, 羽生がシチズン中国のアンバサダーに 北京五輪市場見据え「中国でも大きな影響力」2019/08/22, https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/1802/1281190/index.html, https://www.rbbtoday.com/article/2014/02/16/116913.html, https://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20180207, http://news.livedoor.com/article/detail/14270107/, http://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20180226, https://news.nifty.com/article/entame/showbizd/12144-322184/, https://web.archive.org/web/20151226051737/http://www4.nhk.or.jp/P3834/, https://web.archive.org/web/20160103025333/http://www.hochi.co.jp/entertainment/20151231-OHT1T50063.html, http://mainichi.jp/articles/20160301/ddm/018/200/031000c, http://music-book.jp/video/news/news/117193, http://news.walkerplus.com/article/75984/, http://www.oricon.co.jp/news/2097549/full/, https://news.walkerplus.com/article/122000/, http://www.ntv.co.jp/program/detail/21865690.html, “アナザーストーリーズ 運命の分岐点「羽生結弦オリンピック連覇~メダリストたちが語る最強伝説」”, http://www4.nhk.or.jp/anotherstories/x/2019-02-04/10/22669/1453112/, http://www.tvu.co.jp/program/2019_anotherstories_0129/, NHK総合112月28日羽生結弦オリンピック連覇~メダリストたちが語る最強伝説アナザーストーリーズ 運命の分岐点, 2010年15歳での初出場から2019年4回目の優勝まで。羽生のNHK杯、ショートとフリーすべての演技を一挙放送。BS1で放送した番組を80分版にリニューアル!, http://www.oricon.co.jp/news/2056189/full/, https://web.archive.org/web/20160826093443/http://www.ntv.co.jp/24h/topics/2016/08/post-12.html, http://news.livedoor.com/article/detail/13525568/, https://www.asahi.com/and_w/interest/entertainment/CORI2118252.html/, “被災地への思いを込めて、羽生結弦・ディズニーが感動のアイスショー!<24時間テレビリポ>”, 羽生結弦、松任谷由実の「春よ、来い」に乗せて華麗なスケーティング2019/08/24, 羽生結弦と松任谷由実が夢の共演!「被災地の皆さんの心に春を届けたい」2019/08/24, “羽生結弦、“殿さま”役で映画初出演!「殿、利息でござる!」で阿部サダヲらと共演”, http://www.cinemacafe.net/article/2016/02/04/37590.html, 羽生関連本、まるで皇子級 一方フィギュア誌はジレンマ2018年4月20日18時54分朝日新聞デジタル, http://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000106.000011710.html, https://www.chuko.co.jp/tanko/2018/03/005049.html, http://www.asahi.com/shopping/yuzuru_141024/, http://music-book.jp/book/news/news/122218, “アイスジュエルズ特別編集羽生結弦 SEASON PHOTOBOOK 2016-2017”, http://www.kazi.co.jp/icejewels/books/photo2016_17/photo2016_17.html, “アイスジュエルズ特別編集羽生結弦 SEASON PHOTOBOOK 2017-2018”, http://www.kazi.co.jp/icejewels/books/photo2017_18/photo2017_18.html, http://www.kazi.co.jp/icejewels/backnumber/photo_olympic2018/hanyu_olympic2018.html, https://www.shinshokan.co.jp/book/book_show.html?SRC_URL_MANAGE_CODE=978-4-403-31126-0, https://sportiva.shueisha.co.jp/future/yuzuru2//, 羽生結弦写真集「YUZU’LL BE BACK~Dancin’ on The Edge2」(2019年6月)スポニチ, 羽生結弦 SEASON PHOTOBOOK 2018-2019(2019年07月19日発売)舵社, 羽生結弦 シーズン・フォトブック2019-2020 (2020.06.01発売)舵社, 写真集「羽生結弦 2019-2020」6月17日発売!(2020年5月27日)スポーツ報知, 羽生結弦選手の“神”写真集第3弾「YUZU’LL BE BACKⅡ~Dancin’on The Edge3」全国の書店で発売決定(2020年5月26日)PR TIMES, https://books.shueisha.co.jp/items/contents_amp.html?isbn=978-4-08-790024-8&isbn=978-4-08-790024-8&__twitter_impression=true, https://sportiva.shueisha.co.jp/announce/yuzuru_cal/, https://news.nifty.com/article/entame/showbizd/12160-1698477/, “『羽生結弦 フィギュアスケート2017-2018シーズンカレンダー』予約受付開始!”, https://sportiva.shueisha.co.jp/contents/information/2017/07/05/2017_2018/, 羽生結弦スポーツ選手初のDVD首位 初週売上枚数も歴代最高2014/07/23- 04:00【オリコン】, 羽生結弦、スポーツ関連作品史上初のBD1位獲得【オリコンランキング】2019-10-03 04:00, 羽生結弦選手エキシ使用楽曲がAmazon前日比4,932%アップ! イル・ヴォーロ「ノッテ・ステラータ(星降る夜)」. 59: 都築章一郎 • 羽生 ... 羽生選手のこれも↓私的にはギリギリでしたw自然におろすか、全部上げるかがいいかな?↓これも微妙w(羽生くん、文句ばっかり言ってゴメンねー)私の中では羽生選手のベストはこちらです! 2018-2019: ネイサン・チェン, 1995/96: アレクセイ・ウルマノフ • 1996/97: エルビス・ストイコ • 1997/98: イリヤ・クーリック • 1998/99: アレクセイ・ヤグディン • 1999/00-2000/01: エフゲニー・プルシェンコ • 2001/02: アレクセイ・ヤグディン • 2002/03: エフゲニー・プルシェンコ • 2003/04: エマニュエル・サンデュ • 2004/05: エフゲニー・プルシェンコ • 2005/06: ステファン・ランビエール • 2006/07: ブライアン・ジュベール • 2007/08: ステファン・ランビエール • 2008/09: ジェレミー・アボット • 2009/10: エヴァン・ライサチェク • 2010/11-2011/12: パトリック・チャン • 2012/13: 髙橋大輔 • 2013/14-2016/17: 羽生結弦 • 2017/18-2019/20: ネイサン・チェン, 1999: 本田武史 • 2017: 羽生結弦 • 2000: エルビス・ストイコ • 2020: アンドレイ・モザリョフ, 1997/98: ティモシー・ゲーブル • 1977: ロビン・カズンズ • 1960: アラン・ジレッティ • 1979: (非開催) • 99: 岩本英嗣 • 92: 相吉学 • !”, http://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000015.000010201.html, “羽生結弦選手がオーダー枕を作る、東京西川「 &Free」新テレビCMが9月28日(水)から全国放映開始! 1986: アンジェロ・ダゴスティーノ • 1998/99: ヴァンサン・レステンクール • 1957-1959: デヴィッド・ジェンキンス • 2019: 羽生結弦  • 2015: 宇野昌磨 • 「痛み止めなしでは3回転ジャンプすら跳べなかった」という状態の悪さから、翌17日に行われたフリーのジャンプ構成は試合当日の朝に決断したという[285]。冒頭の4回転サルコー、続く4回転トーループでGOE満点を獲得する完璧な滑り出しで序盤のジャンプはすべて成功。長いブランクからスタミナが懸念された演技後半も、4回転サルコー - 3回転トーループの連続ジャンプを成功[286]。しかし続く4回転トーループでミスが出たため、その後のトリプルアクセルを2連続からトリプルアクセル - シングルループ - トリプルサルコーに切り替えリカバリーした[287]。最後の3回転ルッツも、体勢を崩しながらも着氷でこらえた[288]。大きなミスは1つにとどめ、フリーでは演技構成点トップ、技術点との合計206.17点は自己ベストにはおよばないものの、ショートプログラムとの合計317.85点と2位以下を10点以上離し、ソチオリンピックに続き2大会連続で金メダルを獲得。男子では1948年サンモリッツオリンピックと1952年オスロオリンピックを制したアメリカのディック・バトン以来66年ぶりとなる連覇を達成した。これを受け、バトンは自身のツイッター上で「ブラボー」と賞賛し羽生を祝福した[289]。, 冬季オリンピックの個人種目で日本人が連覇を果たしたのは史上初である[290]。また冬季五輪ではチャールズ・ジュートローが1924年に第1号獲得者となって以降、通算1,000個目の金メダルとなった[291][292]。25日のエキシビションでは「ノッテ・ステラータ(星降る夜)」で大トリを務めた。男子シングルの金メダリストがオリンピックのエキシビションで大トリを飾るのは、2006年トリノオリンピック金メダルのプルシェンコ以来であり、日本人メダリストが最終演技者を努めたのは史上初となる[293]。被災地の復興の願いを込めた演技で大役を果たし、平昌オリンピックを終えた[294]。, 「この試合は勝たないと意味がないと思っていた」との覚悟に勝った偉業だが[295]、連覇にいたるまでの4年間は怪我や病気に苦しんだ。しかし「もし何もなくうまくいっていたら、たぶん金メダルをとれていなかった」とし、さまざまなアクシデントから学んだ経験を生かせた結果と総括した[296]。会見では痛み止めの服用なしではジャンプを跳べる状態にはなく、治療期間が必要と明かしたが[297]、日本に帰国後の3月7日に「右足関節外側靱帯損傷、腓骨筋腱損傷」との診断結果を日本スケート連盟を通じて発表。約2週間の安静と3か月間のリハビリ治療を要する診断を受け、2連覇がかかっていた世界選手権の出場を断念し、シーズンを終えることとなった[298]。3月2日、菅義偉内閣官房長官が国民栄誉賞授与の検討を安倍晋三内閣総理大臣から指示されたと発表[299]。, 今後は復帰を目指し治療に専念するとして、4月13日に開幕する自身初プロデュースの凱旋アイスショー『Continues ~with Wings~(コンティニューズ・ウィズ・ウィングス)』でも、トークのみで滑る予定はないと発表[300]。しかし公演初日に、安静期間を無事に終えて3月下旬から氷上練習を再開した旨を報告。ジャンプは跳ばないものの、サプライズで45日ぶりに氷上での演技を披露した[301][302]。4月22日に地元の宮城県仙台市でオリンピック連覇を祝う凱旋祝賀パレードが開催され、前回(2014年)を上回る、約10万8,000人(直近の仙台市の推計人口:108万3,148人(2018年4月1日時点)[303]の約10分の1に相当)の観衆から祝福を受けた[304][305][306]。今後は4回転アクセルへの挑戦を目標に掲げるも、次の北京五輪を目指すかとの質問への明言は避けた[307]。来季はなるべく多くの試合に出たいとしている[308]。なお欠場と棄権が続いたことから五輪以外の主要なポイントを獲得できず、2013年より保持し続けた世界ランキング1位の座から、約4年半ぶりに陥落することとなった。シーズン終了時点で3位となる[309]。, 6月1日に国民栄誉賞の授与が発表。仙台伝統の絹織物「仙台平」のはかま(人間国宝の甲田綏郎より贈られた[310][311])姿で授与式に臨み[312]、7月2日に首相官邸にて安倍晋三より表彰状と盾を授与された[313][314]。歴代27例のうち、冬季五輪の金メダリスト(冬季競技のアスリート)は史上初、また23歳での受賞は個人最年少となる[315][316][317]。受賞者に与えられる規定の記念品は「皆さまを代表しての受賞という気持ちが大きく、僕個人の気持ちはあまり出したくない」という羽生の意向で辞退となった[318][319]。受賞後は「ここまで切り開いてくださった方々がたくさんいる中で、代表として僕が頂いた」と感謝を述べたのち「この賞と、皆さまの期待とともに、これからも進んでいきたい」と語った[320][321]。, 五輪連覇を成し遂げたことで重圧から解放され、今後は自分のために滑りたいと[322]、新たなショートプログラムにジョニー・ウィアーの『秋によせて』を、フリーはエフゲニー・プルシェンコの『ニジンスキーに捧ぐ』をアレンジした曲を用い、プログラム名を『Origin(オリジン)』と名付けた[323][324]。自らの競技人生が終盤に差しかかっている実感があるとし[325]、幼少期に憧れたプログラムの曲を採用することで「自分の起源を感じながら滑りたい」と原点回帰を新たな目標に挙げた[326][327]。, 9月に平昌五輪以来の復帰戦となるオータムクラシック(カナダ)に出場。ショートはジャンプをすべて決め首位発進するも、スピンが条件を満たせず0点になるミスがあり[328][329]、翌フリーでも転倒と連続ジャンプにならないミスが重なり165.91点にとどまった。合計でリードを守り優勝したものの[330][331]、悔しい結果で逆に「自分の心のともしびに薪が入れられた」状態とし[332]、次戦までに「最短で強くなりたい」と悔しさをあらわにした[333]。, 11月にグランプリシリーズ初戦となる フィンランド杯に出場。「やっぱり試合で勝たなきゃ意味がない」と、要素を後半に入れ難度を上げたプログラム構成に変更[334][335]。4回転サルコーで4.30点の加点を獲得するなど、ルール改正後の世界最高得点となる106.69点をマークしショートを首位発進[336]。エッジ系のジャンプが入らないリンクに苦戦するも「スピードを落とすことで慎重に跳んだ」と対応力を見せ、フリーでは世界初となる4回転トウループ - 3回転アクセルの連続ジャンプを着氷させ190.43点をマーク[337][338]。合計297.12点と、ショート・フリー・トータルスコアのすべてで今季世界最高得点を獲得し優勝。シニアデビュー以来の鬼門となっていたGPシリーズの初戦を初めて制した[339]。, 11月16日よりモスクワで開催されたロシア杯に出場。ショートでは冒頭の4回転サルコーで4.30点の加点を得たほか、4回転 - 3回転トウループの着氷の詰まりを堪えるなど高い修正力を発揮[340]。演技点は5項目すべて9点台なかば以上が並び「この構成では実質ほぼマックスの得点だと思う」と自己分析する圧巻のノーミス演技で[341]、 フィンランド杯でマークした最高得点を更新する110.53点を叩き出し首位発進[342][343]。しかしフリーが行われる17日午前の公式練習で、4回転ループの着氷に失敗し転倒[344]。2017年11月の靭帯損傷以降、わずかな衝撃でも捻挫を起こすようになった右足首を再び負傷し[345]、医師より3週間の安静が必要との診断を受けた[346]。いま滑ると状態が悪化するため棄権を勧められたが、加療期間を計算すると年末の全日本選手権の出場も危ぶまれることから「何をしたくて、何を削るかを考えたうえで、今日しかないかなと思いました」と、自身のスケート人生のルーツと位置づけるロシアでの試合への出場を決断[347]。 13: 田中刑事 • 2008/09: フローラン・アモディオ • 1996: トッド・エルドリッジ • 64: 守永勝利 • 2003: アレクサンドル・シュービン • このためクリーンに跳ぶとGOE満点となる3点(現在は5点)、または満点に近い高い加点を獲得する[75]。試合では4種類の4回転ジャンプ(トウループ、サルコウ、ループ、ルッツ)を跳ぶが、最大の武器は確実に加点のつくトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)である[76]。 14: 宇野昌磨  • 16: 友野一希  • 2018: 金博洋 • 78: 田中憲治 • 1978: デニス・コイ • 次戦は11月のNHK杯を予定していたが、9日の大阪市中央体育館での公式練習にて4回転ルッツで転倒した際に負傷[270]。翌日午後に日本スケート連盟が「右足関節外側靱帯(じんたい)損傷」との診断結果を発表し、正式に欠場が決まった[271]。この時点でグランプリファイナル出場を逃すこととなり、史上初となる5連覇の可能性は消滅した[272]。, トロントに戻り、12月の全日本選手権への出場を目指して治療に専念したが[273]、骨と腱にも炎症があるなど回復が遅れ、練習を再開することができず断念[274]。18日に日本スケート連盟が正式に欠場を発表した[275][276]。引き続きリハビリを優先し[275]、全日本選手権終了時点の段階で、ジャンプ抜きの氷上練習を再開した状態にあると発表。逆算して回復が間に合う見込みであること、現世界ランキング 1位であり、規定に沿って正式に平昌オリンピック代表に選出された[277]。, 1月の四大陸選手権も回復優先のため回避し[278]、2月9日に開幕した平昌オリンピック団体戦への出場も「完全回復にあと1週間必要」とのブライアン・オーサーの判断により回避[278]。11日に現地入り後は慎重に調整。まだ日本勢が金メダルを獲得していない話を記者に向けられると「誰が(金メダルを)とろうが、僕もとります」と断言[279]。約4か月ぶりとなる復帰戦として、男子シングル66年ぶりの五輪連覇がかかる個人戦に臨む[280]。, 2018年2月16日、江陵アイスアリーナでショートプログラムに出場。4回転ループは回避するも[281]、演技後半のトリプルアクセルは、審査員全員からGOE満点の評価を得るなどすべてのジャンプを完璧に決め[282]、ブランクの不安を払拭する圧巻の演技を披露した[283]。自己ベストに肉薄する111.68点をマークし首位発進となる[284]。 2014: 村上大介 • 2001: エフゲニー・プルシェンコ • 2004: ジェフリー・バトル • 2010/11: リチャード・ドーンブッシュ • 1989-1990: ヴィクトール・ペトレンコ • Copyright © CyberAgent, Inc. All Rights Reserved. 17: 須本光希  • 1980: アレクサンドル・ファデーエフ • 2016/17: ドミトリー・アリエフ • ハイレベルな試合が続いた五輪プレシーズンを「だからこそ練習が楽しいしモチベーションも高くなる。今スケートが楽しいです」と総括し「自分がしたいスケートをしっかりやって、また一歩ずつ進んでいければ」と来季への展望を述べた[255]。, ショートに『バラード第1番ト短調』、フリーは2015 - 2016シーズン時点で「五輪シーズンで使うと決めていた」という『SEIMEI』と[256]、自身が世界最高得点を更新したプログラムの再演を選択。フリーは4回転5本を組み込むなど構成の難度をさらに上げ[257]、オリンピックシーズンに臨む。, 9月にモントリオールで開催されたオータム・クラシックに出場。右膝に痛みがあり4回転ループは回避したが、ショート冒頭の4回転サルコウおよび後半のトリプルアクセルでGOE満点の評価を獲得するなど、技術点合計が歴代最高の64.17点に到達するノーミスの完璧な演技を披露[258]。自身が2015年より保持している最高得点を塗り替える112.72点の世界新を記録し、首位発進となった[259]。しかし、翌フリーは得意のトリプルアクセルで転倒するなど精彩を欠いた演技で失速。自己ベストから実に67点ものマイナスとなる155.52点にとどまり[260]、合計でハビエル・フェルナンデスに逆転され2位となった[261][262]。この落差の激しさは「集中力の弱さ」にあり永遠の課題としつつも[263]、初戦で2位に終わった悔しさを「大きな収穫」と受け止めた[264]。, 10月にグランプリシリーズ初戦のロステレコム杯に出場。ショートはジャンプのミスが響き2位発進[265][266]。フリーでは、自身初挑戦となる4回転ルッツを成功させ[267] 195.92点の1位まで追い上げるも、合計290.77点はネイサン・チェンに3点届かず2位と、6年連続でグランプリシリーズ初戦の優勝を逃した[268][269]。 1974: ロン・シェーバー • 2010: 髙橋大輔 • 53: 大橋和夫 • 1906: ギルベルト・フックス • 1987: クリストファー・ボウマン • 2016: パトリック・チャン • 2010-2011: 髙橋大輔 • 2007: スティーブン・キャリエール • 2011: 羽生結弦 • 2011: アンドレイ・ロゴジン • 2014: 無良崇人 • 33-34: 星野正三 • 1997: エルビス・ストイコ • フィンランディア杯ではフリーでトゥループとサルコウの2種類の4回転ジャンプを成功させ優勝。グランプリシリーズでは初戦のスケートアメリカ、地元・宮城県で開催された第2戦のNHK杯と、2戦続けてショートプログラムで歴代最高得点を更新、GPファイナルでは2位となる。全日本選手権では初優勝を果たした。, 四大陸選手権では、ショートプログラムでは1位だったものの、フリーでは4回転サルコウが2回転に、3回転ルッツが1回転になるミスがあり3位。総合得点では2位になった。しかし世界選手権では、2月からの体調不良と左膝の故障の影響からSPでは精彩を欠き、9位と出遅れた。さらにフリーの公式練習で右足首を故障したが、満身創痍で臨んだフリーでは3位となり、総合では日本男子最高の4位に入った(翌2014年2月開催のソチオリンピック男子シングル種目は、髙橋大輔の6位との成績で最大の3枠を確保)[135]。左膝の故障のため、2013年世界フィギュアスケート国別対抗戦は辞退した[136]。2013年4月に早稲田大学に進学した。, 2013 - 2014シーズンを前に、2013年7月1日に全日本空輸(ANA)と所属契約した[137]。シーズンインするとフィンランディア杯で2年連続の優勝。, スケートカナダとエリック・ボンパール杯はともにパトリック・チャンに次ぐ2位。福岡市で開催された2013年GPファイナルではショートプログラムの歴代最高得点を更新、フリーでは自己ベストを大幅に更新し、総合1位でGPファイナル初優勝を果たす。, 2014年2月、ロシアで開催のソチオリンピックでは、団体戦のショートプログラム1位となるが、日本は5位に終わった[139]。, 男子シングル個人種目では、ショートプログラムの『パリの散歩道』で101.45点をマーク、公式大会世界最高得点かつ、史上初の100点超えを達成し首位に立った。しかしフリースケーティングでは、冒頭の4回転サルコウで転倒、直後の4回転トウループは成功したものの、3回転フリップで再び着氷に失敗。演技後半の3回転アクセルからのコンビネーションは2回とも成功させたが、3回転ルッツ - 1回転ループの直後、3回転サルコウが認定されないなど不本意な演技となり、自己ベストには程遠い178.64点にとどまった[140]。フリー演技終了直後のインタビューでは「(体が)全然動かなかった。(本番直前の)6分間練習から焦っていた。はっきりいって自分の演技に満足していない。終わったあとは、金メダルは駄目かなと思った」と語っていた[141]。, SPで2位につけていたパトリック・チャン(カナダ)は羽生の直後に滑走。冒頭4回転 - 3回転トウループのコンビネーションを成功させるも、その後は単独の4回転トウループと3回転アクセルで手を着き、さらに終盤の2回転アクセルでもバランスを崩すなどの着氷ミスが続き、羽生のフリーの得点を上回れず銀メダルに終わった[142]。その後に滑走した2選手もメダル圏内にはおよばず、結果羽生はフィギュアスケート男子シングルの種目において、アジア人初となる冬季オリンピックでの金メダルを獲得した[143][144][145]。, 2014年2月14日時点で羽生は19歳65日という年齢であり、フィギュアスケート男子シングルの金メダリストとしてはディック・バトン(アメリカ合衆国)が1948年のサンモリッツオリンピックで優勝した際の18歳202日に次ぐ史上2番目の年少記録となり、66年ぶり2人目の10代での金メダリストになった[146][147]。さらにオリンピック初出場で金メダルを獲得したのは、ウルリッヒ・サルコウ、イリヤ・クーリックに次いで史上3人目。ソチオリンピックでは日本人唯一の優勝、また平成生まれの日本人として史上初の夏季・冬季を通して五輪の金メダル獲得となり、さらに日本選手で過去冬季五輪の金メダル獲得は記念すべき10個目となった[注 5]。, 表彰後のインタビューではシカゴ・トリビューンの記者フィリップ・ハーシュから東日本大震災についての質問を受け、「金メダルをとったからといって、復興に直接つながるわけではない。自分には何もできていないんだという無力感がある。でも、金メダリストになれたからこそ、これをスタートとして、復興のためにできることがあるんじゃないかと今は思っています」と回答し、故郷への感謝を述べた[148][149]。この質問をしたハーシュは「僕にとってソチ五輪でもっとも忘れられない瞬間は、誰かが成したことではなく日本の羽生結弦が言ったことだ」とツイートし[150]、「19歳とは思えない成熟と謙虚さ、細やかな感受性をもって、この勝利について語った」と羽生を称える記事を書いた[151]。また同席していたニューヨーク・タイムズ の記者ジェレ・ロングマンは「金メダルの獲得こそが、羽生が前進するための出発点となるだろう」と結ぶ記事で勝利を称えた[152][153]。, 2014年3月、さいたま市で開催された世界選手権では、ショートの4回転トウループで転倒し3位と出遅れた。しかしフリーで、国際スケート連盟主催の大会で自身初の4回転サルコウジャンプを成功させる。その後の3回転フリップでエッジエラー判定を受けた以外は、ほぼパーフェクトな演技で総合首位に立つ。総合2位の町田樹を合計得点0.33点の僅差でかわし、逆転優勝を果たした。日本男子シングル種目では、2010年世界選手権の髙橋大輔以来、4年ぶり2人目の世界チャンピオンとなる。さらに「GPファイナル・冬季オリンピック・世界選手権」の3大会を制したのは、2001 - 2002年シーズンのアレクセイ・ヤグディン以来、男女シングルを通じて史上2人目の快挙となった[154]。, オリンピックチャンピオンとして臨んだ2014 - 2015シーズンだが、度重なるアクシデントの影響により、当初挑戦する予定だったプログラムの難度の変更を余儀なくされた。, 初戦となる予定だったフィンランディア杯は腰痛のために欠場。2014年11月、初戦となった上海開催の中国杯ではショートプログラムで2位スタート。フリースケーティング前の6分間練習で、中国の閻涵と衝突事故が起きた[155]。日本スケート連盟は国際試合に医師を帯同させていなかったため、現場では米国の医師に応急処置を受け、頭部と顎にテーピングと包帯を施したままの状態で演技に臨んだ。流血事故を押しての出場は、当初脳震盪の可能性が疑われたため「危険だったのではないか」とメディアの賛否が分かれる事態に発展したが、脳震盪は起こしていないと現場の医師の診断を受けており、最後までプログラムを滑りきり銀メダルを獲得した[156][157]。, この演技終了後に顎を7針、頭を3針縫い、表彰式とエキシビションには出演せず翌日に帰国[158]。精密検査の結果、頭部挫創・下顎挫創・腹部挫傷・左大腿挫傷・右足関節捻挫で全治2 - 3週間と診断を受けた[159]。, 次戦のNHK杯は開催直前まで出場の可否が検討されていたが、最終的には出場し総合順位は4位となる[160]。この結果、ISUグランプリシリーズポイントランキング6位となり、最下位でグランプリファイナルへと進出した。1番滑走で臨むことになったショートでシーズンベストを記録し首位に立ち、フリーでは2種類の4回転を成功させ自己ベストを更新[161]。日本男子初となる大会2連覇を達成し、[162][163][164] 事故を乗り越えての勝利を「存分に体を使える幸せを感じた。今スケートができることが一番の幸せ」と語った[165]。, 続く2014年12月、全日本選手権では3連覇を達成したものの[166][167]、グランプリシリーズ時から断続的に続いていた腹痛の精密検査のため、エキシビションを欠場して緊急入院。「尿膜管遺残症」との診断結果により、翌12月30日に手術を受けた。3連覇を達成した直後に、NHK杯で見えた壁を越えて見えたものはと問われ「壁です。壁の先には壁しかないのかな、と。人間というのはそういうものだと思うし、課題ができたら、人間は欲深いものだからそれを越えようとします。たぶん、僕は人一倍欲張りなんだと思うのと同時に、それを達成するためにサポートしてくれる環境がある。幸せ者だなと思います」と答えた。[168][169][170]。, 手術後は2週間の入院および1か月の安静治療が必要とされたが[171]、退院後に練習を再開。しかし手術で腹部を4センチほど切り、腹筋の感覚に違和感が生じたことが一因で練習時に右足首を捻挫。再び2週間の休養を要し、3月開催の世界選手権への出場は直前まで危ぶまれた[172]。しかし3月上旬から出場する意向での国内調整を進め、全日本選手権以来の復帰戦に挑むこととなった。, 2015年3月、上述の衝突事故が起きた上海の会場で開催された世界選手権では、ショートプログラムで4回転が乱れたものの今季自己ベストをマークして首位に立った[173][174]。術後の回復をアピールしたかに見えたが、フリーの4回転をどちらも失敗。その後は落ち着いてジャンプを決め巻き返したものの、パーソナルベストには程遠いスコアに留まった。結果は、同門のハビエル・フェルナンデスに2.82点およばず銀メダルとなり、日本人選手初となる世界選手権連覇はならなかった。連覇を逃した心境を「悔しさが9割だが、また追いかけることができる立場になった。悔しさをバネに進んでいける」と語り、復帰戦を終えた[175][176][177]。, 捻挫のほか、手術跡が炎症を起こすなどのコンディション不全から、続く4月開催の国別対抗戦への出場の可否は世界選手権後に協議されたが、自身初となる出場が決定[178]。ショートプログラムで96.27点と今季自己ベストを更新して首位に立ち[179]、翌フリープログラムも冒頭の4回転サルコウを決めたほか、ミスを最小限にとどめ首位に立った[180]。フリーの演技後に氷上で「ありがとう」と感謝の言葉を述べ、今季最後の試合を終えた[181][182]。日本は銅メダルを獲得。エキシビジョンでは『パリの散歩道』を同季唯一のノーミスで披露し、参考扱いながらも4回転ループ+3回転アクセルのシークエンスジャンプを成功させた。来季に向けては「また一つ一つ課題をクリアしていきたい」と展望を語り、シーズンを締めくくった[183]。, 映画『陰陽師』のサウンドトラックを用いた新たなフリースケーティングを『SEIMEI』と自ら命名。「安倍晴明」の狩衣をイメージした衣装で、シェイ=リーン・ボーン振付による和の表現に挑んだ[184]。, 初戦のオータムクラシックで優勝[185]。続くスケートカナダのショートプログラムでは、演技後半のジャンプがルール上カウントされず0点となり73.25点の6位発進と出遅れたが[186]、フリーで自身初となる4回転3本を着氷させて巻き返し2位となる[187]。, 続くNHK杯では「挑戦という意味を込めた」として、ショートに4回転サルコウと4回転トウループ - 3回転コンビネーションの4回転2本を組み込む、自身最高難度の構成に急遽変更[188]。ノーミスの演技で、ソチオリンピックで自身が記録した101.45点の世界最高得点を更新する106.33点をマークした[189][190]。「絶対王者になると言い聞かせることで自分にプレッシャーをかけた[191][注 6]」として臨んだ翌日のフリーでは、演技後半の4回転 - 3回転コンビネーションを含む計3本の4回転のほか、すべてのジャンプを成功。技術点は出来栄え評価で23.08点もの加点を獲得し、演技点の「音楽の解釈(Interpretation)」の項目は、ジャッジ9人中6人が10点満点をつける9.89点という圧倒的な演技で安倍晴明を演じきり、史上初の200点台となる216.07点を記録した[192]。トータルスコアでも史上初の300点台となる322.40点を記録し、パトリック・チャンが保持していた295.27点の世界歴代最高得点を大幅に塗り替える前人未到のスコアで優勝を果たした[193][194]。この大会で羽生はショート、フリー、トータルの全スコアで世界記録を更新。ISUジャッジングシステムにおいて、史上初めてショートプログラムで100点、フリースケーティングで200点、トータルスコアで300点超えを達成した男子選手となった。, さらに2週間後のバルセロナで開催されたグランプリファイナルのショートプログラムにおいて、NHK杯を超える演技を披露。4回転サルコウと、4回転トウループ - 3回転トウループの連続ジャンプは、9人中8人のジャッジがGOE(出来栄え評価)加点で満点の3点をつけ、PCS(プログラム構成点)は満点の50点に肉薄する49.14点をマーク。110.95点を叩き出し、わずか2週間で再び世界記録を塗り替えた[195]。, 一日置いたフリーでもノーミスの演技を披露。4回転サルコウ、4回転トウループともにGOE満点を獲得し、技術点は120.92点に到達。構成点では9名のジャッジが10点満点をつけた項目が23にもおよび、NHK杯を超える219.48点を記録。トータルで330.43点というスコアを叩き出し、再びすべての世界記録を更新した[196]。プログラム構成上の上限の点数に対する得点がショートが2.70、フリーが6.31とごくわずかの演技で[197]、男子選手としてISUグランプリファイナル史上初となる3連覇を成し遂げた[198][199]。歴史的な記録更新に、会場のインタビューで自身の演技を見た子どもへのコメントを求められ「どうかスケートを、練習を、夢をあきらめないで」と語った[200]。, 続く全日本選手権ではさらなる記録更新に期待がかけられたが、フリーの演技後半の2度のジャンプの転倒が響き183.73点、トータルは286.36点にとどまった。2位の宇野昌磨に20点近い大差をつけ、男子史上29年ぶりとなる大会4連覇を果たしたものの「ひどい演技。自分の中では勝ったとは思っていない」と悔しさをあらわに、2015年を締めくくる試合を終えた[201][202]。, 2016年3月にボストンで開催された世界選手権では、ショートでは自己ベストに肉薄する110.56点を記録。一日あけて臨んだフリーでは「さらに完成度を高めるため」として、後半の4回転トウループを4回転サルコウに変更(実際には左足の靱帯損傷の悪化により変更となった)、しかしここで転倒するなどジャンプの精彩を欠いた演技で、自己ベストには程遠い184.61点にとどまった。トータルスコアは295.17点という結果となり、ショートのリードで逃げ切ることはできず、前回大会と同じく同門のハビエル・フェルナンデスに逆転され、2年連続の銀メダルとなった。期待されながらも王者奪還を逃した敗因を「いい演技をしたい、と欲張った結果が裏目に出た空回りであり、自分の過ち」と分析[203]。演技後は「ここで金メダルを取れないようでは自分はまだまだ」と述べ、去年と同様に悔いの残る世界選手権を終えた[204]。, 大会終了後、左足甲の靱帯損傷の治療のため、帰国はせず練習拠点のトロントに戻ると発表[205]。後日正式に「左足リスフラン関節靭帯損傷」により全治2か月との診断を受け[206]、アイスショーへの出演をすべて取りやめ、治療とリハビリに専念することとなった。, 怪我のリハビリを経て、新たなプログラムに「観客とのコネクト」をテーマにプリンスの『Let's Go Crazy』(ショート)と、『Hope & Legacy』と名付けた久石譲の楽曲(フリー)を選択。4回転ループを含む、6本の4回転ジャンプを組み込む高難度プログラムに挑む。, 初戦のオータムクラシックで、ISU公認大会史上初となる4回転ループを2度成功させる[207] 快挙で優勝[208]。しかし「ぜんぜん体が動かなかった[209]」と苦笑するほど全体的には精彩を欠いた演技で、自己ベストから70点近く低い260.57点にとどまった。不本意な結果に「次の試合ではノーミスで。そのくらい練習していきます。そうじゃないと、羽生結弦じゃないです」と雪辱を誓った[210][211][212]。しかしグランプリシリーズ初戦となる、続くスケートカナダのショートで「慎重になりすぎた」と4回転を失敗し、4位発進と出遅れる[213]。フリーは1位で追い上げるも、トータルスコアでパトリック・チャンにわずかに届かず、同大会2年連続で2位となった。ショートの出遅れが響き今回も263.06点というスコアにとどまったが、初戦の体力切れを改善し演技後半のジャンプを安定して決めることができたことから「悔しさ9割、達成感1割」と総括した[214]。, 続くグランプリシリーズ2戦目のNHK杯では、ショート冒頭の4回転ループの着氷のみ乱れたが、演技後半のトリプルアクセルがGOE満点評価を受けるなど圧倒的な演技で103.89点をマークし首位に立つ[215][216]。フリーでは4回転サルコウ - 3回転トウループのコンビネーションの4回転サルコウで転倒があったものの、4回転ループ、4回転サルコウ、4回転トウループと3本の4回転ジャンプを成功させる安定した演技で197.58点をマーク。今季世界最高得点となる総合301.47点で優勝し、グランプリファイナルへの進出を決めた[217][218][219]。今回もノーミスの演技は達成できなかったことから、ショート・フリーともに演技後に「もうちょっと」と、指で自身の演技の完成度を悔しがる仕草を何度も見せていたが[220]、フリーについては「冷静に考えたら全然もうちょっとじゃなかった。かなり頑張ってきます」とさらなる向上を誓い、「悔しさ4割、ホッとした4割、楽しかった2割」と大会を総括した[221]。, 12月8日よりマルセイユで開催のグランプリファイナルに、史上初となる4連覇をかけて出場。ショート冒頭の4回転ループの着氷を何とか堪え、すべてのジャンプを成功。スピン、ステップのすべてで最高評価のレベル4を獲得した。ステップはジャッジ9人中8人がGOE満点のプラス3をつけ、上限となる2.1点の加点を得るという圧倒的な演技で、シーズンベストを更新する106.53点をマーク[222][223][224]。首位発進で臨んだフリーだったが、冒頭の4回転ループと4回転サルコーは成功するも、演技後半の4回転サルコーで転倒するなどミスが相次ぎ失速。得点を伸ばすことができず、フリーは全体3位となる187.37点にとどまった。しかしながらショートでの大幅なリードに助けられ、2位まで追い上げたネイサン・チェンに10点以上差をつける合計293.90点で大会を制し、男女を通じてグランプリファイナル史上初となる4連覇を達成した[225][226]。また大会4度の優勝は、男子では羽生が憧れるエフゲニー・プルシェンコと並ぶ記録となる。この結果を喜ぶ一方、ノーミスの演技を達成できなかった悔いの残るシーズン前半戦を「めちゃくちゃ悔しい。反省点だらけ」と総括。シーズン後半に向け、改めて4回転ジャンプ4本を組み込むフリー構成の完成を目指す[227]。, 次戦は5連覇をかけた全日本選手権となる予定だったが、帰国後にインフルエンザを発症し咽頭炎を併発する。大会前日の段階でも発熱が続いており、さらに1週間の安静加療が必要と診断されたことから、正式に全日本選手権欠場を発表した[228][229]。不在に終わった全日本だが、上述のグランプリファイナル優勝および、過去に出場した世界選手権における実績などから選考基準を満たしており、2017年にヘルシンキで開催される世界選手権の代表に選出された[230][231]。, 2017年2月、復帰戦となる四大陸選手権に出場。ショートは冒頭4回転ループをほぼ完璧に決めるも、続く連続ジャンプの4回転サルコウが2回転となるミス。トリプルアクセルで満点の加点を得たものの、97.04点の3位発進と出遅れた。[232][233] 逆転をかけたフリーは演技後半の4回転サルコウ+3回転トウループが2回転+1回転になってしまったが、終盤のコンビネーションを急遽4回転トウループ+2回転トウループに変更するなど圧巻のリカバリーを見せ、自身初となる4本の4回転に成功。[234][235] 今季最高得点となる206.67点を叩き出しフリー1位となったが、合計303.71点はショート1位のネイサン・チェンにわずかに届かず2位に終わった。今回も四大陸選手権の優勝はならず、同大会で獲得した銀メダルは3個目となったが「優勝したかったが、今までで一番楽しかった銀メダル」とし、「自分の限界に挑戦している感覚が非常に好き。この時代に生まれてよかった」と、ライバルとハイレベルな戦いに挑む喜びを述べた[236][237]。, 3月にヘルシンキで開催された世界選手権に出場。ショートでは、冒頭の4回転ループを自身最高となる2.43点の加点を得る出来栄えで完璧に決めるも、続く連続ジャンプの4回転サルコウの着氷が乱れ、左膝をつくミス。その体勢から急遽両手を上げての2回転トウループをつけたが、これはコンビネーションとは認定されず大幅に得点を失う[238]。さらに、名前を呼ばれてから30秒以内にスタート位置につけず「スタート遅れ」の規定違反により1点の減点を受け、98.39点という厳しい得点になる。109.05点で自己ベストを更新した首位のハビエル・フェルナンデスとは10.66点差の5位発進と大幅に出遅れる